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みづくくる 一六八 十 一六八  【HIROYA to IROHA】

絞り染色作家藤井裕也ブログ【みづくくる~ひろやといろは】。 水くくる=絞り染めの意。一六八=ひろやと物事のいろはを掛け合わせ題しました。 一六八十一六八は『いろは十色は・ひろや都いろは・色やとひろや・いちろひらくたりいろひらく』とも読みます。

19)熱田と飛鳥。

新緑が美しい五月。

子どもの日は過ぎてしまいましたが五月五日は菖蒲の節句端午の節句でした。

五月五日は個人的にもう一つ意識している行事がありまして、名古屋の話。母方の大原家は曽祖父の代まで代々熱田の祭祀にお仕えしていた神官、社家でした。

端午の節句の同日には、熱田に古来より伝わる神輿渡御(しんよとぎょ)と呼ばれる神事があるんです。

飛鳥に都があった頃、朱鳥元年(西暦686年)今を遡ること1330年前、草薙の剣熱田神社に還幸(かんこう)になりました。

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その朱鳥(あかみどり)の元号の由来は新羅の沙門道行のために神剣が二度に渡り盗難に遭い、皇居に据え置かれたものをご神命によって熱田の地に還したことに因んだものとのことです。
草薙の剣が熱田の杜に還っても長くご皇室をお守りすることに変わりないことを遠く飛鳥浄御原に仰いで祝う神事ですね。

以来、不用心があってはいけないと時の天武天皇飛鳥浄御原宮り七人の宮仕えを熱田に派遣されたことにより熱田七姓という社家が誕生します。

世襲制度の社家で尾張氏の首長を中心に社家の七姓、田島氏、馬場氏、守部氏、大喜氏、粟田氏、長岡氏、大原氏などの氏姓が歴代の熱田神社をお守りする祭祀の家として約一千二百年綿々とお仕えしておりました。明治維新によって熱田神社熱田神宮に改編され国家管轄になって社家が離散します。

ちなみに同じ社家の粟田家は京都の粟田がルーツ。

母の祖父や親類、他の社家・熱田七姓も同様に禄を失い熱田の杜から裸同然で追い出されました。
それでも母の祖父は熱田大神にご奉仕していたとのことですが、戦前に熱田の杜から離れて京都に居を移したそうです。
曽祖父、祖父も名古屋に帰りたいといいながら早くに亡くなり、また名古屋の大空襲により詳細の巻き物などはありませんが物心ついたころから大原の家の伝承、断片的な話から流れを調べていました。
熱田神宮にある神宮文庫などに度々足を運び文献を紐解くなか3年ほど前に、岡本天明伝などのご著者である古神道研究家の黒川柚月さんより熱田神宮朱鳥会の記念誌をご紹介頂きました。

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朱鳥会とは旧社家の集いです。早速求めましたところ、紋の記述や断片的に伝わっていた内容とピタリと一致、さまざなに謎だったことが判明して、大原の親類とも資料を共有しご先祖さんのルーツをみんなが喜んでくれたことが何よりでした。黒川さんには本当に感謝しております。

熱田の杜からさらに大原のルーツを辿っていくと名古屋の前は明日香村に大原の里があったことが判明しました。
大原の里は現在、明日香村小原と改称されています。

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ところで、この明日香村小原は「藤井が原」又の名は藤井原と呼ぶそうです。藤原家のふる里でもあります。

大原と藤井が原とは明らかに同じ地を指しているそうなんですが僕が藤井の家に生まれたのは偶然ではないのかもしれませんね。藤井家の方は近江八幡の出自だそうで、明日香村と何のゆかりもないと思いますがなんとも面白い符合です(^ ^)

僕は染色家ですし神主や宗教家を目指している訳ではありませんけれど僕のバックグラウンドにはなんとなくそんなご先祖さんのルーツがあって。雅楽を突然習い出したりと、僕の神道的な素地はそんなところにあるのかなとも思っております。
 

長く飼っていた猫のアスカも明日香村出身。行方不明で思い出すと悲しくなりますが。

熱田と飛鳥は僕の中では結構大きなキーワードなんです。

落ち着いたらまた行きたいな。

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